必要な時
- 思考を働かせない
- つじつまを合わせようとしない
- 理性的判断を止める
必要な時に
必要なことが起こる。
これが分かっている人は
どんな心境で日々を過ごしているでしょう。
ちょっと、この先を読む前に、
思いを巡らせてみてください。
"安心"していると思います。
全てが必要な時に、
運ばれてくるわけですから。
Amazonでお買い物をしたとします。
到着は明日の夜19時だと言われました。
明日の夜19時に荷物が届くと分かっている人が、がくがく震えながら”どうしよう、来なかったらどうしよう、もうだめだ、終わった…"と青ざめるでしょうか。
(交通事情によっては時間通りに届かないこともあるかもしれません)
これと同じことを、
私もしていました。
本当は、
全てのことが必要な時に届いています。
そうとは思えないでしょう。
私もそうでした。
”明日の夜19時に頼んだものが届く"
私はこれを、
"知って"います。
分かっているのです。
だから、"安心"して日々を過ごしている訳です。
それが届くのを待っている訳です。
同じことを、
日々の生活に当てはめてみましょう。
必要なことは必要な時にやってくる。
私はこれを"知って"います。
分かっているのです。
だから、"安心"して日々を過ごしている訳です。
それが届くのを待っている訳です。
必要な時というのは、
自分の思う"その時"ではないかもしれません。
なぜか。
自分は、あなたの思っている自分ではないからです。
ここで復習しましょう。
思い出してください。
理性的判断を止める
理性的判断をしている自分。
"必要な時"を、自分なりに判断している自分です。
"自分なりに"、です。
つまり、自分で想定した"必要な時"なのです。
本当の”必要な時"ではありません。
自分は、あなたの思っている自分ではないのですから、
"ピンチだ"と、判断している自分
"どうにかしなきゃ"と判断している自分は、
あなたではないということになります。
必要な時に
必要なことが起こる。
それが分かっている人に、
ピンチもどうにかしなきゃいけない状況も、
訪れようがありません。
Amazonからくるお届け物を待つ人に、
ピンチもどうなかしなきゃいけないと思う気持ちも湧いてきようがありません。
今度 Amazon(でなくても良いですが)で
何かを頼んだら、
それが届くまでの気持ちを味わってみましょう。
やってみましょう。
その感覚が分かると思います。