やってみましょう

何かをやってみようと思う、全ての人へ

メソッド

  • 思考を働かせない
  • つじつま合わせをしようとしない
  • 理性的判断をやめる

 

心の悩みや問題を解消しようと、

メソッドに取り組みます。

 

メソッドをすれば、

持っていた問題を消すことが出来ると思うからです。

実際に何かメソッドを試してみて、問題が消えた経験は確かにあります。

 

実は、

メソッドは自分が持っている問題を消すために行うのではありません。

 

”メソッドをやったのに問題が消えない。

メソッドのやり方が悪いんだろうか?”

 

”こんなにメソッドをやっているのに、

なんで状況が変わらないの?”

 

こうして問題をなんとかして消そうと

躍起になっていた時期がありました。

苦しみから逃れたい、状況を変えたいと

思っていたからです。

必死だったのです。

 

メソッドは、

 

”自分が持っている問題を消すために行うもの”ではなく、

”問題自体が初めからないんだと気づくために行うもの”

です。

 

不安、焦り、恐れ。

様々な問題が心を支配し、

状況を悪化させているように感じるでしょう。

私も随分長いこと、そうでした。

 

だからそれを解決しようと、

問題を消そうと、色々試していたわけです。

 

でも、消えません。

どうして消えないんでしょう?

”存在しないから”です。

 

存在しないので、

消しようがないのです。

 

問題は確かに存在している!

疑いの余地はありませんでした。

でも問題は、幻です。

”何の問題もない状態”を知っているから、

その状態と比較して、

”問題のある状態”を頭の中で想定しているだけなのです。

 

なんだ、問題はなかったのか。

そう思うと、安心しますね。

 

トラに追っかけられていると思って

必死に逃げていたけれど、

実はそれは着ぐるみのトラだったとわかれば

深刻さが抜けるでしょう。

 

”トラに追っかけられている”。

それは、幻だったわけです。

思い込みであり、勘違いだったわけです。

それと同じことです。

 

”自分が問題と思っているこの状況は、

もしかしたら思い込みなのかもしれないな”

 

ちょっとそう考えてみる。

問題をなんとかしようと取り組むのを

やめてみる。

その方法として、メソッドを使うのです。

 

問題は幻だったのだとわかり、

その時初めて、問題だと思っていた状況は

ひとりでに解消されていきます。

 

自分が直接解決に乗り出さなくても、です。

 

 

 

 

 

手を引く

  • 思考を働かせない
  • つじつま合わせをしようとしない
  • 理性的判断を止める

 

この世のあらゆることを

私がやっていないとしたら、

あなたはどう感じるでしょうか。

 

何事も全て、

私がやっていると思っているでしょう。

私もそうでした。

 

だから、頑張らなければならなくなります。

何とかしないといけなくなります。

焦るし、不安にもなる。

結果がどうなるかわからないからです。

 

この世のあらゆることを

私がやっていないとしたら、

一体誰がやっているのでしょうか。

 

生活費は、誰が運んできてくれてるのでしょう。

どうやって、色々な人たちと出会っているのでしょう。

 

働いてるからです。

出会いを求めて、行動しているからです。

そう、答えるでしょうね。

 

ここで今一度、

復習しましょう。

 

理性的判断を止める

 

働いてるから→

お金が得られる

 

出会いを求めて行動してるから→

色々な人たちと出会える

 

当然のこと。

皆が、知ってることです。

この考え方を止めるとしたら

どうなってしまうのでしょう。

 

働いてるから

お金が得られているわけではない

 

出会いを求めて行動しているから

色々な人たちと出会えるわけではない

 

信じられないかもしれませんが、

本当のことです。

 

この世のあらゆることを

私がやっていない。

じゃあ誰がやってる訳?

私ではない、存在です。

 

だからもういっそのこと、

手を引いてみました。

自分でやっていないと分かったのだから、

手を引きました。

やーめっぴ。

 

すると

何が起こったのでしょう?

この世のあらゆることが

良き方向に進んでいきました。

 

なぜ良き方向に進むのでしょう?

私ではない存在は、

良きことしか知らないからです。

 

 

 

自分は何にでもなれるのだ。

自分は何者でもないのだから。

 

何者でもなければ

何者にもなれます。

 

自分が選べば。

自分が、決めれば。

 

昨日の私も

今日の私も

明日の私も

全部、ここにいます。

 

これを書いている私もいれば

これを書かなかった私もいます。

 

自分がどの自分でいたいのか、

選ぶことが出来ます。

ただ、これにしようと、

選ぶだけです。

 

”私はかわいい!”

かわいい私です。

私はもうかわいいので

次第に周りから

”あの人、かわいくない?”とか

”なんかかわいくなったね”とか

言われるようになります。

 

かわいい私を選んだのですから

そういう世界線で現実が展開されていくのです。

私はかわいいのですから、

”あの人、かわいくない?”とか

”なんかかわいくなったね”とか

言ってくれないと困ります笑。

だって私はかわいいんですから!

 

あなたは、どんな私でいたいでしょう。

ちょっと、想像してみませんか。

 

 

対話

昔の対話を引っ張り出してきました。

問いかけの、良い一例です。

 

"私が望むのは、

皆がhappy な職場です。

仕事の不満なんてありません。

皆が健やかに、幸せに、楽しく働いています。

皆が上司と仲良くやっていて、

上司もとても優しいです。

これが、本来の姿なんですね。

 

ところが今の私には、

皆が仕事の文句を言い、

上司の悪口を言って

辛い、疲れたと言っています。

 

本当の姿が見たいです。

私の望みは、皆が楽に、楽しく、

笑って働ける場所にいることです。

お金も儲かります。物も売れます。

接客も和やかに行われ、

お給料もたくさん貰えます。

かわいくて、きれいなものを

沢山見ながら仕事が出来る。

最高の場所なのです。

 

私は、

あなたが全てつつがなく物事を進めてくれることを知っています。

私の望む状況は、すぐに現れることを知っています。

あなたがそうしてくれるからです。

 

私は、今のこの状況が"問題だ、解決したい"

と思っている訳です。

 

しかしあなたの世界では、

これは問題ではないですね。

 

私の目には、

過去の経験から、

これは問題なのだと映ってしまっているだけなのですね。

 

わかりました。

私はこれは問題ではないと思い、

問題だと思うことを一旦手放します。

やめてみます。

 

 

答え

思考を働かせない

つじつまを合わせようとしない

理性的判断を止める

 

やてみまブログ(と略してみる)は、

やってみようと思う全ての方へ向けて書かれたものです。

その中に、かつての私も含まれています。

 

かつての私は、

あらゆることに恐怖と不安、焦りを感じていました。

生きることそのものが、

辛く、苦しく、険しいものだと

そう思っていました。

 

一生この苦しみが続くのかと

考えるだけで息が詰まりそうで。

何度も何度も、楽になりたいと思いました。

 

今の自分は、

そうは思わなくなりました。

きっかけがあったと言うより、

理性的な判断を止めたのです。

 

頭で考えても答えは出ない。

分かっていても、考えるのをやめられない。

どうにかしたいと思ってる訳ですから

当然です。

 

そしてとうとう、

考えることに疲れ、

頭を使うのをやめました。

答えが出ないのです。

答えが欲しいといくら願っても

答えが出ないからです。

 

そうして、

答えを出す必要がなくなりました。

答えを出さなければならない状況が

勝手に消えたのです。

 

答えを出さねばと思っている限り、

答えを出さなければならない状況に

直面し続けるでしょう。

 

でも、どうでしょう。

どうにかしなければならない状況自体を

消してしまいませんか。

 

どうやって?と思うでしょう。

答えを出さねばと思うことをやめるのです。

 

自分で答えを出さねば!

と思っている訳ですから、

状況さんも、あなたが答えを出すのを待っていなければなりません。

"状況さん"として、そこにい続けることになります。

 

状況さんは、あなたに待たされてる訳です。

すると状況さんは、こんなふうに思うでしょう。

 

"ねぇまだ〜?早く〜早く答え出してよね〜"

 

そうして焦りが生まれる訳です。

何とかしなければ!と思う訳ですね。

 

その状況さんは、

時に支払いの督促状の顔をしています。

恋人の浮気相手の顔をしています。

病、失業、事件、事故の顔をしています。

 

答えなんか出さなくても良いと

思ったら、状況さんはどんな顔をするのでしょう?

 

そこにいることができなくなってしまいます。

"答えを出そうと必死になっているあなた"に

待たされていたのに、

"もう答えは出しません"と言われたら、

その場を去るしかありません。

 

かくして

状況さんはいなくなります。

 

これが、"問題解決"です。

 

何もしてないのに問題が解決する。

不思議だと思うでしょう。

ここで今一度、言っておきましょう。

 

理性的判断を止める

 

そうです。

頭で思いつく範囲には

答えはないということです。

 

そして答えを出すのをやめた時に

気づくのです。

問題なんて、初めから存在しないのだということを。

 

世界

思考を働かせない

つじつまを合わせようとしない

理性的判断を止める


世界はあなたが思っている以上に優しいです。

今はそう信じられないかもしれません。


意地悪なことを言う人もいるでしょう。

嫌なことも沢山あったはず。

どうしてうまくいかないんだと

何度も悔しい思いをしてきました。


それでも私は言います。

世界は優しいのだと。


なぜ優しいと分かるのでしょう。

あなたが優しいからです。

本当は、誰でも優しい気持ちを持っています。

それが、本来の姿です。


自分に優しい気持ちがなければ

人が優しいと言うことは分かりません。

あなたがこの世界は優しいのだと思えば

世界はそうなります。

あなたの思うように、世界は回っています。


ある時、電車がホームに到着しました。

ホームに着くまでに、長い階段があります。

これは間に合わない。次の電車に乗ろう。

諦めてゆっくりと階段を登り、ホームに着きました。

ところが電車は発車していません。

"駆け込み乗車はおやめください〜"と駅員さんは言っているのですが、

ホームにいた人はもう全員電車に乗っているので、ホームには私しかいません。


あれ?

なんでだろ。

もしかして、まだ乗れる?


私がひょいと電車に乗り込むと、

電車の扉は閉まりました。

私のために電車が止まっていてくれたのかと

笑ってしまいました。


このブログでも、

何度か言っていますね。


理性的判断を止める


そして、


"思いつかないところに答えはある"


これです。

今一度復習しましょう。


何で?

あれ?

ラッキー


ここに答えがあります。


つまり、自分の頭で考えた範囲に

答えはないのです。


と、いうことは。

世界があなたに優しいかどうかの根拠と答えは、あなたが考える範囲の中にはないと言うことです。


ただあなたが世界は優しいと思うこと。

そうなのだと思うこと。


それだけが答えなのです。

呼び方

私は話の中でよく

神だとか天だとか言っていますが、

特定の宗教を信じているわけではありません。

 

自分を超えて。

自分の思いもよらないところにある存在を

概念上神とか、天だとか呼んでいるだけです。

 

何でも良いのです。

自分なりに、しっくり来れば。

 

神でも。

天でも。

スーパーなんちゃらでも。

ハイパーなんちゃらでも。

 

ただいつでも自分を見守り

救いの手を述べてくれる。

無条件に、無限大に。

 

そんな存在がいるとしたら、

あなたはそれを、なんと呼ぶでしょうか。